相手を重く感じれば、無意識に力が入ります。つまり、相手を軽く感じる、その心身の状態に自らを持っていくことが問われます。持たれた手は重力センサーで、それが測定値ゼロになるのが目標です。
舟漕ぎ運動と膝抜き(浮舟の探求⑥)
舟漕ぎ運動は、腕力に頼らず、重心移動により相手を捌くための練習法です。同時に、これと膝抜きを組み合わせることで、相手と一体化した状態での重心移動と崩しが可能になります。
浮遊する諸手取り呼吸投げ(浮舟の探求⑤)
どんなにがっちり持たれても、合気すればその力を感じなくなり、ゆえに自分も力を入れる必要がなくなります。まるで自分と相手が一緒に浮遊している感覚です。どんな相手に対しても、どんな場面でもこれができるのか? 今後の課題です。
一滴の滴が熱い岩に落ちて蒸発する後両手取り(浮舟の探求④)
合気した状態では、相手の力も感じず、それゆえ、自分の力も感じません。力に対して力で対抗して「投げた」という実感がないのに、なぜか相手は吹っ飛んでいる。これが合気の目指す世界でしょう。その一端が少しだけ見えてきました。
ゼロ・グラビティの二人掛け諸手取り合気下げ(浮舟の探求③)
人間の脳の能力の9割は、自分のバランスを保つために使われているそうです。つまり、相手を投げるより、相手に崩された自分を元に戻す力のほうが、はるかに本能的で自然だと言うことです。そして、持たれた手はセンサーであり、自分が自然体に戻れば、逆に相手の力は無力化し、まるで無重力のような状態に入れます。これが合気の本質なのかどうか・・さらに探求していきます。
丹田を中心に世界に浮かぶ(浮舟の探求②)
どこも踏ん張らず、全身がリラックスした武道的状態は、丹田を中心に世界に浮いている感覚です。だからこそ、前後左右上下、どこにでも自由に動ける。単に脱力するだけでは、この感覚はつかめません。まさに中心力を高めることが求められます。
武道的身体はマリオネットのように軽く踏ん張らず力まない
藤平光一氏の動画を見ると、軽く飛び跳ねるように捌いている。心身が自由に躍動する体捌き、足捌きを目指し、試行錯誤しながら稽古しています。
初めての正面打ち四教(一瞬で中心を捉える)
一教から四教まで、すべては相手の肩をロックして中心を捉えるためにあります。そして四教は、肘、手首、指などの関節ではなく、言わば触れたすべての場所から相手の中心を捉える感覚を培うためにあります。その意味を踏まえ、試行錯誤することが問われます。
初めての正面打ち三教(相手の中心を掴む)
関節技は、関節を通じて相手の中心を掴むことが肝で、関節を痛めつけることが目的ではありません。よって、痛いからかかる関節技ではなく、相手を中心から崩すことを目指します。
心身の自由を目指す(後両肘取り三教)
上手く捌けない原因の大半は、自分で自分の心身を固めていることです。それを解き放ち、一番楽で無理のない体捌き、足捌きを模索する。痛いからかかる関節技ではなく、自然に相手を導ける関節技を目指します。

