ネット上に溢れる合気道関連の動画を見れば、相手をポンポンと自由に投げ飛ばすものがほとんど。つまり、「相手を自由に動かす」ことが合気道であるかのように誤解されてしまう。
確かに、触れただけで相手を投げ飛ばすことができるような「天才」はこの世に存在するかもしれない。しかし、どんな世界でも当然のことだが、「天才」はごく一握り。
私を含めて、99%の人は「天才」ではない。だとしたら、私のような凡人にとって合気道を学ぶことにどんな意味があるのだろうか?
私にとって合気道は、相手ではなく、自分自身を自由にする道である。
よく「相手を変えるのは難しいが、自分自身を変えることはできる」と言われる。
実は、合気道の術理の基本は、まさにここにあると思う。
敵意を持った相手に強い力で腕を掴まれたら、普通はそれを力で振りほどこうとする。
ところが、その力は相手には届かず、むしろ自分自身を頑なにし、固め、動けないようにしてしまう。
これを武道では「居着き」と呼び、最も戒めなければならないものと考える。
この居着きからの己自身の解放こそが、結果として相手に技をかける際の肝となる。
相手を自由自在に投げることができるとしたら、それは己自身が居着きから解き放たれている結果なのだ。
どんな厳しい状況に置かれても、自分自身は自由になり得る。そして、その自由な心身から、新たな局面を切り開くことができる。
稽古の際に繰り返し強調するのは、このことである。もちろん、単なる抽象論ではなく、具体的な身体的やり取りの中でそれを実感するから説得力があるし、さらに深い意味を探求できる。
何のために稽古するのか? それは、己自身を自由にするためである。