合気道における『伝統と合理性』

合気道は、「型稽古」である。型を繰り返し稽古し、型を型として意識しない段階まで身に付けることが求められる。
つまり、型の無意識化、さらに型からの自由こそが究極の目標のはずだ。

しかし逆説的ではあるが、長い伝統のなかで形成されてきた型には、体術としてもっとも合理的な動きが凝縮している。つまり、型には明確な深い意味がある。

その型の無意識化のためには、逆に型の意味について徹底的に考えなければならない。身体的な稽古と一体のものとして、考えることが重要なのだ。

一歩外の世界に目を向ければ、スポーツをはじめあらゆる身体的パフォーマンスについて、日進月歩で科学的、合理的な研究が進められている。
一流のアスリートは、明確に一つ一つの動きの意味を理解し、より合理的、効率的に身体を駆使することを目指している。

もちろん、そのパフォーマンスにとって、メンタルが極めて重要な影響を与えることについても解明され続けている。だから彼らはメンタル・トレーニングも重要視している。

振り返って、わが合気道はどうであろうか? 私たちは、合気道の伝統的な型のなかに凝集された叡智、その意味と価値をどれほど探求しているだろうか?

伝統は常にその意味を再生され、再創造されることでより強靭なものになっていくはずだ。その意味で私は、考え続ける、考え抜く合気道を目指していきたい。

その道のはるか先に、ひょっとしたら、オイゲン・ヘリゲルが垣間見た『弓と禅』の世界が広がっているのかもしれないが、今の私にとっては、見果てぬ夢である。

コメントを残すにはログインしてください。

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.