映画版「『鬼滅の刃』無限列車編」を息子と観た。
テレビ版は息子が観ているのを横目に、部分的に知っていたが、映画版のクオリティは大人でも十分に楽しめるものだった。
有名な「全集中の呼吸」など、随所に武道、特に合気道と通じるものがあることは知っていたが、この映画を観て、さらに哲学的な部分でも通じるものがあると気づいた。
①炭治郎は、血鬼術から何度も回復するが、それは夢のなかで自らを殺すことによる。生への執着を捨て去ることで逆に真の生を得る。この姿を見た鬼は、「なんという胆力か」と驚愕する。武道における胆力も、まさにこうしたものだろう。
②上弦の参の鬼は、まさに「悪しき武闘家」の典型である。強くなることだけを目指し、そのためには悪魔に魂をも売るように誘う。強くなるために鍛錬することを無上の喜びとしているが、勝ち続けることがすべて、己がどこから来て、どこに行くのかが分からない。
③炭治郎の深層心理は、まさに禅の世界である。透明で温かい。おそらく、この物語にとって、これは大いなる伏線なのだろう・・・
と、色々と興味深かった。
小学4年生の息子は、多分、派手なアクションを喜んでいただけだと思うけど(^-^)
ちなみに、合気道における呼吸法は、深く静かなものだ。
余計な力を使わず、相手と己の世界を一体化させていくことを目指す。
まさに戦いながら、炭治郎の深層心理のような世界を保ち続けること。
合気道の達人と言われた塩田剛三氏は、合気道の極意を問われ、「自分を殺しに来た相手と友達になること」と回答したと言うが、『鬼滅の刃』には、随所にこうした哲学が埋め込まれていて面白い。