当り前のように考えられているすり足は、自分の体重を下に逃がし、身体が重くなるためNGです。もし数十キロの物体が摩擦係数なしに自由に動けば、すさまじい運動エネルギーが発生します。浮舟はその状態に近づいていくための一歩です。
踏ん張らず力まず腕を使わない(問題意識を共有する②)
合気道を経験された方が体験に来られた場合、私たちがどのような問題意識で稽古しているのかをご説明します。技術的なことは指導者、道場によって千差万別なのは当たり前。ただ、同じ合気道仲間として、問題意識を共有できれば、楽しい稽古ができると思います。
心身を浮かせて膝抜きで動く(浮舟の探求⑧)
筋力や瞬発力に依存せず、自分のバランスをコントロールしながら膝抜きで動けば、踏ん張らず、力まず、固まることもありません。後両手取りなどの捌きにおいて、はっきりとその差が出ます。
風船のような軽さで捌く後両手取り呼吸投げ(浮舟の探求⑦)
相手を重く感じれば、無意識に力が入ります。つまり、相手を軽く感じる、その心身の状態に自らを持っていくことが問われます。持たれた手は重力センサーで、それが測定値ゼロになるのが目標です。
浮遊する諸手取り呼吸投げ(浮舟の探求⑤)
どんなにがっちり持たれても、合気すればその力を感じなくなり、ゆえに自分も力を入れる必要がなくなります。まるで自分と相手が一緒に浮遊している感覚です。どんな相手に対しても、どんな場面でもこれができるのか? 今後の課題です。
一滴の滴が熱い岩に落ちて蒸発する後両手取り(浮舟の探求④)
合気した状態では、相手の力も感じず、それゆえ、自分の力も感じません。力に対して力で対抗して「投げた」という実感がないのに、なぜか相手は吹っ飛んでいる。これが合気の目指す世界でしょう。その一端が少しだけ見えてきました。
ゼロ・グラビティの二人掛け諸手取り合気下げ(浮舟の探求③)
人間の脳の能力の9割は、自分のバランスを保つために使われているそうです。つまり、相手を投げるより、相手に崩された自分を元に戻す力のほうが、はるかに本能的で自然だと言うことです。そして、持たれた手はセンサーであり、自分が自然体に戻れば、逆に相手の力は無力化し、まるで無重力のような状態に入れます。これが合気の本質なのかどうか・・さらに探求していきます。
丹田を中心に世界に浮かぶ(浮舟の探求②)
どこも踏ん張らず、全身がリラックスした武道的状態は、丹田を中心に世界に浮いている感覚です。だからこそ、前後左右上下、どこにでも自由に動ける。単に脱力するだけでは、この感覚はつかめません。まさに中心力を高めることが求められます。