後から両手をねじ上げられた厳しい状態でも、心身を解放して柔らかく捌くことは可能です。心が固まると、身体も固まる。心身は一体であることを学ぶ稽古です。
風船のように浮いて軽やかに捌く
浮遊する50キロの物体がぐるりと回るだけで物凄い運動エネルギーです。足を踏ん張ったらこれを駆使できません。
エネルギーの流れを活かし軽やかに呼吸投げ
本当に技がかかる時は、何の手応えも感じない状態です。どこかで力んだり踏ん張ったりすれば、まだまだです。
丹田の球体で捌く③(柔らかさは波を伝える)
すべてのエネルギーはまず丹田にもらい、球体はそれを返し、最後に再び丹田に帰っていく。そのエネルギーの波を伝えるためには、心身が柔らかい状態にあることが必須です。特に肩甲骨はがしができているのかどうか、が試金石となります。後両手取りであえて相手にがっちりと掴ませるのは、それを検証するためです。
心身を浮かせて膝抜きで動く(浮舟の探求⑧)
筋力や瞬発力に依存せず、自分のバランスをコントロールしながら膝抜きで動けば、踏ん張らず、力まず、固まることもありません。後両手取りなどの捌きにおいて、はっきりとその差が出ます。
風船のような軽さで捌く後両手取り呼吸投げ(浮舟の探求⑦)
相手を重く感じれば、無意識に力が入ります。つまり、相手を軽く感じる、その心身の状態に自らを持っていくことが問われます。持たれた手は重力センサーで、それが測定値ゼロになるのが目標です。
一滴の滴が熱い岩に落ちて蒸発する後両手取り(浮舟の探求④)
合気した状態では、相手の力も感じず、それゆえ、自分の力も感じません。力に対して力で対抗して「投げた」という実感がないのに、なぜか相手は吹っ飛んでいる。これが合気の目指す世界でしょう。その一端が少しだけ見えてきました。
ただ自然体で下に崩すだけ(後両手取り呼吸投げ)
後から両手をがっちり掴まれた状態で、まずは自分を自然体に戻し、相手とのつながりを大切にしながらただ下に崩す。強く早く投げようとはしない。最初は上手くいかないのは当たり前。試行錯誤するから稽古は面白いのです。
心身を柔らかく解放する後両手取り呼吸投げ(動く禅の探求③)
身体を固めているのは心です。この動画を観ると良く分かるのは、最初は肩を柔らかくできずに崩れていた姿勢が、徐々に自然体に近づいていき、より技がかかるようになっていく変化です。身体的な条件は同じなのに、心の持ち方で柔らかくなる。これが合気道の魅力でもあります。
波のうねりで捌く後両手取り(円転の理⑥)
波のうねりは上下左右前後とどちらにも寄せては返し、一つであり無数であり、どんな形にも変化します。合気道の捌きは、まさにこうした波のように自由自在なうねりを目指します。