正面打ち一教
相手がどんなに強く打ち込んできても、その力と気持ちを吸収して相手に返すのが肝です。
考える稽古を抜きには合気道の進歩もない
私は大阪のとある道場で合気道を始めた。
たまたま仕事の都合で当時大阪に在住していたからだ。
ある時、本部から直々に師範が講習に来ていただけると、その準備を手伝っていたところ、最後に道場長がこう私たちに語った。
「講習の最後に、『何か質問は?』と聞かれると思うけど、絶対に質問しないでください。もしあなたたちが何か質問したら、私たちは後でとんでもないことになる」
私は思わず心のなかで「????」である。
指導をするためにわざわざ来てくださる師範に対して、「質問するな」とはどういうことか?
今から推察するに、後で師範から「お前たちはこんなこともちゃんと教えていないのか!」と叱責されるのが怖かったのだろう。
あるいは、「合気道は言葉ではない。そんな質問をする前に稽古せよ!」とでも言われるのか・・
いずれにしても私は、この言葉を聞いた途端に、名著『失敗の本質』を思い出し、「ああ、この道場では学べないな」と判断した。
『失敗の本質』は、日本軍の詳細な分析から、組織マネジメント論をまとめた力作で、その中にこうある。
「日本軍の最大の誤りは、言葉を奪ったことである」
自由闊達な議論ができない社会や組織は、必ず衰退する。
それは合気道においても然りである。
浦和合気会時代に師事させていただいた遠藤征四郎先生は、ある有段者講習会の最後に、「何か質問はありますか?」と尋ねられた。
私はたくさんお聞きしたいことがあったが、さすがに多くの先輩有段者の前で立ち上がるのは憚られたので、黙っていた。
誰も質問する者はいなかったから、他の参加者も同じような気持ちだったかもしれない。
それを見て遠藤先生は、「質問がないということは、あなたたちは考えて稽古をしていないと言うことですか?」と問いかけられた。
まさに、日々、常に考え、検証しながら稽古しなければならないことを諭されたわけだ。
「まあ、こんなにたくさんの人の前で質問するのも気が引けるでしょうが」と柔らかくまとめられたが、考える合気道がいかに大切かというメッセージを受け取ったと私は解釈した。
1回稽古すれば、一つの気付きがあり、同時に一つの疑問が生じ、それをさらに稽古で検証し、自らを修正し、高めていく。
こんなことは、すべてのトップアスリートが当たり前にしていることである。
考える合気道がいかに大切か、そしてそれを言葉としても表現し、他者と共有し、検証し合いながら高め合っていくことこそが、稽古の最大の喜びだと私は思う。