諸手取りで厳しく持たれても、心身をリラックスさせ、身体を浮かせるようにします。軽快に足を動かすためにも、すり足はNG。母指球と踵でフワッと浮けば、相手に囚われずに心も柔軟になり、脱力した状態を保てます。
心身を柔らかく解放する後両手取り呼吸投げ(動く禅の探求③)
身体を固めているのは心です。この動画を観ると良く分かるのは、最初は肩を柔らかくできずに崩れていた姿勢が、徐々に自然体に近づいていき、より技がかかるようになっていく変化です。身体的な条件は同じなのに、心の持ち方で柔らかくなる。これが合気道の魅力でもあります。
ひたすら内観に徹し技をかけようとしない(動く禅の探求②)
技をかけようとして動き出せば、相手に伝わり、抵抗・反発を惹起します。ただ自分の心身を内観して、バランスを取り戻して自然体になる。その結果として相手が崩れ、それに応じて技を繰り出す。禅のように己の内側に意識を集中することだけを課題として稽古します。
相手のエネルギーを丹田に入れて優しく返すだけ(動く禅の探求①)
敵対する心を捨てる、愛をもって相手に接する・・これらは武道とは関係のない単なる「絵空事」なのか・・この命題に対する問いを求めて、新たに「動く禅」の探求を始めます。まずは相手にがっちりと諸手で掴まれた状態から。
すっと立ち上がるだけの後両肩取り呼吸法(中心帰納の探求⑯)
後ろから肩をつかんでいる相手をちょっと崩して、両手の間をくぐり抜けてただすっと立ち上がるだけ。踏ん張って相手を投げようとすればするほど、自分のバランスが崩れてかかりません。ただ自然体に戻るだけだからこそ、呼吸法です。
自然体で捌く正面打ち呼吸投げ(中心帰納の探求⑮)
相手の打ち込みに合気し、自分は一番楽な自然体で捌く。相手の気持ちとエネルギーをもらい、返してあげるだけ。結果として相手を投げることになりますが、投げるために自分の態勢を崩すような無理は一切しません。
重心線を正中線に戻すだけ(中心帰納の探求⑭)
伸筋などを使って腕にいくら力を入れても、その力はたかが知れています。しかし、自分自身の身体のバランスをちょっと動かすだけで、相手は崩れます。問題は、相手の存在にとらわれることなく、自分自身の心身の状態をチェックし、コントロールできるのかにあります。
何かする気配を出さない(中心帰納の探求⑬)
自然体に戻るのは、何もしない状態に戻るためです。何かをしようと意図した途端に、それは相手に伝わり、抵抗、反発を生み出します。がっちりと持たれた諸手取りからの崩しは、その自分の状態を検証するための試金石です。
技をかけようとすればするほどかからない(中心帰納の探求⑫)
技をかけようとすれば、それは相手に伝わり、双方の緊張、不自然な状態、歪が拡大するだけです。自分自身が自然体に戻ることだけを考えれば、結果的に相手のエネルギーを吸収し、それを相手に返すことができる。通常ではあり得ないこの真逆の世界こそ、合気道の魅力なのかもしれません。
重心を正中線に戻し自然体でかける天地投げ(中心帰納の探求⑪)
相手との関係で生じている自分の中の不均衡を、正常な状態に戻す。そのためには、自分の身体のどこが緊張し、どこに力が入り、どう固まっているのかを自覚しなければいけません。そしてそれを自分で補正して自然体に戻る。それは同時に、自分に向かって来る相手のエネルギーを吸収することでもあり、技はそれをただ返してあげるだけのものです。