ぶつかれば、相手はすぐにこちらの重心の位置、力の出所を感知します。それを分からせないためには、踏ん張らない、力まない。こちらから攻撃しない合気道は、ただ柳のように柔らかく捌くだけです。
丹田の球体で捌く両手取り天地投げ
天地投げは受け取ったエネルギーを天と地に分けて返してあげる。相手のエネルギーはいったん丹田に吸収します。ただし、吸収するというのは、丹田の球体の表面でくるっと返してあげるイメージです。
丹田の球体で捌く⑥(浮いた水袋になる)
浮いた水袋は、捉えどころが分からず、力で抑えつけることができません。丹田を浮かせ、心身を柔らかくすることで、この状態に近づければ、相手のの力は無力化され、相手は自分でバランスを崩して倒れます。
ひたすら内観に徹し技をかけようとしない(動く禅の探求②)
技をかけようとして動き出せば、相手に伝わり、抵抗・反発を惹起します。ただ自分の心身を内観して、バランスを取り戻して自然体になる。その結果として相手が崩れ、それに応じて技を繰り出す。禅のように己の内側に意識を集中することだけを課題として稽古します。
重心を正中線に戻し自然体でかける天地投げ(中心帰納の探求⑪)
相手との関係で生じている自分の中の不均衡を、正常な状態に戻す。そのためには、自分の身体のどこが緊張し、どこに力が入り、どう固まっているのかを自覚しなければいけません。そしてそれを自分で補正して自然体に戻る。それは同時に、自分に向かって来る相手のエネルギーを吸収することでもあり、技はそれをただ返してあげるだけのものです。
心身の波動を活かす天地投げ(円転の理③)
エネルギーを滞らせない動きこそ、円転の理が目指すものです。相手のエネルギーを吸収して生み出す小さな波が、大きな波動となって相手に返っていく。心身が波打つように捌くことを目指します。
合気で捌く③そもそも合気って何?(片手取り四方投げ・両手取り天地投げ・諸手取り呼吸投げ)
相手を居着かせた瞬間、相手と一体化した状態でバランスが均衡します。それを一方的に解除すると、相手は無意識に崩れたバランスを取り戻そうとして付いてくる。まさに力ではない導きとなり、一体化すればするほど大きく崩れるという、合気道の本質に迫ることができます。道場はまさに、こうしたプロセスの実験場であり、道友は実験仲間です。
合気で捌く①(両手取り天地投げ)
合気上げをただできるできないはほとんど意味はなく、問題はそれをどう体捌きに活かすのかです。伸筋に依存するのではなく、仙骨と丹田から発動する合気上げは、そもそも最初から脱力した状態なので、そのまま体捌きに活かせます。
居着きと脱力の探求①接点で争わない体捌き(片手取り・両手取り)
合気道において、大切なことはすべて、心身内部で起きています。見かけ上のパフォーマンスでは決して見えない、相手の居着きを生み出す仙骨・下丹田からの動き、そして相手を居着かせてからの脱力による捌き。力という概念が根本的に覆る、奥深い合気道の世界を探求する旅を続けましょう。
丹田の探求④身体内部から始まるぶつからない崩し(両手取り天地投げ)
これまでは主に、脱力からの伸筋の駆使によって相手を崩していましたが、より根本的に接点でぶつからない崩しを目指し、丹田からの身体内部の動きをより重視しています。忖度なしで腕をがつちりと抑えつけられても、しっかりとかかる技を目指します。