合気道は護身術たり得るか?

私も参加している合気道の交流サイトで、合気道は護身術たり得るかを巡って様々な意見が交わされていて、なかなか興味深い。
合気道がその内容に武術的要素を含むと考えるなら、この問題については、様々な見解があって当然だろう。

「護身術と言うからには、あらゆるルールを無視し、武器すら持って襲ってくる相手に対処できなければ意味がないから、既存の合気道の体系では無理」という意見もある。

その一方で、「そもそも合気道は戦場での武術から発展している以上、究極的には護身術どころか相手を殺傷するにたる十分なポテンシャルを持っている」との主張もある。

一口に合気道と言っても、流派、指導者、道場によって指導内容は大きく異なる。
それぞれ自分が学んだ経験や体系から考えるしかない。
何より、護身と言った場合に、どのような場面を想定しているかも、人によってかなりの差があると思う。

ゆえに、この問いに「正解」などはあり得ないとは思うが、一つだけ考えておきたいことは、「護身」の意味は、根本的には歴史的、社会的、文化的に規定されていることである。

例えば、ただ街を歩いているだけで、いつナイフや拳銃を持った強盗に襲われるかも分からないような、治安状況が極めて悪い社会では、当然にも、そこで合気道を学ぶとしたら、実戦性がかなり高いものでないと意味はなくなる。

ゆえに、ブラジルなどで普及している合気道などをYoutubeで見ると、一般に日本で多く見られる合気道よりは、より実戦を想定した稽古をしている様が伺える。

さらに、ナイフや拳銃での強盗どころか、ほとんど内戦状態で、日々銃弾や砲弾が飛び交うような社会では、そもそも「護身術」そのものが空理空論となる。
しかし逆に、そのような過酷な世界から、精神的な救いを求めるために、「護身術」としてではなく、合気道の精神世界こそが大きな支えとなるかもしれない。

さて、翻って今の日本はどうだろうか?
少なくともまだ今は、「女性が夜一人で歩いても安全だ」と、世界中から驚きをもって評価されるぐらい、治安のいい国である。

その一方で、世界一の超高齢化社会で、生活習慣病などが蔓延して莫大な医療費が国の財政を圧迫し、次世代にツケが残されていく。

つまり、今の日本においては、何か自分の身に深刻な危険が及び、武術的な護身術を必要とするようなトラブルに見舞われるリスクよりも、運動不足による生活習慣病、自己免疫力の低下などにより、何らかの心身の病を患うリスクの方が、はるかに高いわけだ。

つまり、現代の日本を生きている私たちにとって、最も求められている「護身」とは、日々の普通の生活のなかですらアップアップするぐらいの様々なストレスのなかで、できるだけ心身の健康を保ち、明るく前向きに生きていく、そんな「護身術」なのである。

もちろん、だからこそ、その広義の「護身術」には、合気道だけでなく、あらゆるスポーツや趣味なども含まれるだろうから、もはや当初の問題設定からはそうとう離脱してしまうことになる。
見方によれば、「そんなのは詭弁だ」とも批判されるかもしれない。

ただ、護身術をこうした意味でも考えてみれば、合気道の稽古で汗を流し、そのご褒美に美味しいビールを味わう、これもまた、現代日本においては、十分に社会的な意味で「護身術」たり得るということになると、少なくとも私は思う。